これらの結果、19世紀半ばには北極海側の海岸線の形が判明し、北東航路は未知の陸地に阻まれておらずヨーロッパ側からアジア側まで通して航海できることが確認された。しかしタイミル半島付近は緯度も高く夏でも流氷が多い上、何年も融けず大きくなった多年氷が行く手を阻む。しかもエニセイ川やレナ川など世界有数の大河から淡水が流入する東シベリア沖は流氷形成も盛んである。よって航行は困難だった。
実際に北東航路を通しての航海に成功したのはスウェーデン系フィンランド人のアドルフ・エリク・ノルデンショルドであった。彼は1878年、蒸気船ヴェガ号でストックホルムからイェーテボリを経由し出港し、途中ベーリング海で流氷に閉ざされ越冬したが、翌夏に脱出し1879年9月に横浜へ入港した。1880年4月24日にストックホルムに帰港したヴェガ号は大勢の市民と花火による大歓迎を受けた。逆に東から西へ向かう航海は、1915年にロシアのボリス・ヴィルキツキ(Boris Vilkitsky)が成功させている。
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ノルデンショルドの航海成功の前年、カラ海を通じてシベリアの農産物をヨーロッパ・ロシアへ運ぶという商業航路開拓(カラ探検)が始まった。1877年から1919年までに122隻が挑んだが多数が難破し成功したのは75隻のみで、運べた貨物もわずか55トンであった。1911年からはウラジオストクからコリマ川河口に向かう蒸気船が年に1回運航するようになった。
19世紀末から20世紀はじめにかけて北東航路に挑んだ探険家たちは、ノルデンショルドも含め、科学研究や地図製作が動機だった。アメリカ海軍のジョージ・W・デロングは北極点に向かう途中、1881年に北東航路の東シベリア北方沖で船を氷に押しつぶされ遭難した。フリチョフ・ナンセンも北極点探検の過程で北東航路に来てゼムリャフランツァヨシファを経由している。ステパン・マカロフは1899年と1901年にロシア海軍の北極探検を指揮し、このために世界最初の砕氷船「イェルマーク」を造らせた。ロアール・アムンセンは南極点到達後、1918年から1925年にかけて北東航路(北方航路)を西から東へ横断し、北極点に挑んだほか極地の調査研究を行っている。