数え14歳の春に、3歳年下の一条天皇に入内し、まもなく従四位下に叙せられ、ついで女御となる。局は登華殿(一説に梅壺、または両方とも)。同年10月5日、皇后に冊立され「中宮」を号した。同じ年の5月には、父・道隆が祖父兼家の亡き後を継いで摂政・氏長者に就任しており、道隆一族は輝かしい栄華を謳歌した。
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定子の母貴子は円融朝に掌侍を勤めて高内侍と称された人で、女ながらに漢文を能くし、殿上の詩宴にもに招かれるほどであった。また、定子の父道隆は、「猿楽言」(冗談)を好み酒を愛した陽気な性格の人だという。こうした父母の血を享けて、定子は聡明な資質を持ち、和漢の才に通暁したばかりでなく、明朗快活な性格に育ったらしい。正暦四年頃から定子の死去まで彼女に仕えた女房・清少納言が著した随筆『枕草子』は、生き生きとした筆致で、彼女の人格的魅力を今日に伝えている。従弟にあたる夫・一条天皇との仲も至極良好で、機知を愛し風雅を重んじる一条朝の宮廷の風潮は定子に負うところが大きい。